OB・OG会の歴史

OB・OG会の歴史、それは試行錯誤の積み重ねだ

準備段階 1986年秋

年表

  
1987.9.20創立40周年記念レセプション(参加者約320名)/京都松ヶ崎会館(現キャピタルイン京都)
1987.11.5「ザ・フレンドシップサークル」紙の創刊
1988.12.17新島記念講堂献堂記念オール同志社第九コンサート(小林研一郎指揮)/京都会館(東京サントリーホール)/105名参加750万円寄付
 

*1988第九コンサート参加の東京地区メンバ-が中心となり「同志社混声<東京>」結成。1992.12に上野奏楽堂にて単独演奏会を開催、現在に至る。

*1989.6 「CCD土曜に歌う会」活動開始、在版メンバーで愛唱歌を中心に気軽に歌い続ける。練習場を大フィル会館に移し、指揮者に65高橋兄を迎え本格活動開始、以降同志社混声<シャンテ>と改称する。

1990.6.24早同交歓会第30回記念レセプション(参加者245名)/キャピタルイン京都
 *創立45周年記念事業として、委嘱曲「ゆく路は遥か」を元同志社女子高校長の野村芳雄先生に依頼、1992.7に完成。また新愛唱歌の募集、詞5篇に21篇の曲応募があり、最優秀曲に「合唱(うた)にありがとう」(詞:73遠山兄、曲:64卒水田姉の次女英里さん)が決定。
1992.11.01創立45周年記念レセプション(参加者約400名)/ギャラクシーホール
1993.8.21第一回ちゃんと話そう会/新町練習場
1994.1-2月「話そう会」の波紋収拾、林・榎本両先生に陳謝
1994.10.22CCD土曜に歌う会、初ステージ/長岡京記念文化会館
1994.12.2第42回定演、榎本先生が直接タクトを本山先生にゆずられた最後のステージ。
1995.1.17阪神大震災
1995.4.16榎本利彦先生、八重子先生、小室先生、坂上先生、山口先生らご勇退に感謝の謝恩会(OBOG81名、現役48名、記念品参加94名)/岡崎ホテルサンフラワー
1995.6.18早同交歓会第35回記念パーティー(早混OBOG約130名CCDOBOG約30名と早同の現役団員参加)/東京晴海ホテル浦島
1996.2.12CCD顧問鴛淵紹子先生退任、謝恩パーティー/京都ロイヤルホテル
 *創立50周年記念事業として「50周年記念誌」の作成と「記念コンサート」の開催を決定。
1997.11.9創立50周年記念レセプション(参加者約xxx名)/京都テルサ
1998.3.1創立50周年記念コンサート「モーツァルト レクイエム」(林達次指揮、参加者約250名)/シンフォニーホール

2000.6.17

40回記念早同交歓会 /森ノ宮ピロティホール

2000.11.18同志社創立125周年記念全同志社合唱祭 /京都コンサートホール
2001.4.01新指揮者灘井誠先生就任(この年度のみ)
2001.11.10森本芳雄先生召天50周年追悼記念会 /栄光館チャペル
2002.11.3創立55周年記念レセプション(参加者約219名)/京都テルサ
2002.11.17創立55周年記念スペシャルコンサート『ドイツレクイエム』 /京都コンサートホール
2002.12.01CCD第50回定期演奏会
2003.5.08名誉音楽顧問榎本利彦先生ご逝去(享年71才)
2003.7.21榎本利彦先生追悼式 /新島会館
2003.9.15林逹次指揮『ドイツレクイエム』最後の演奏 /すみだトリフォニー
2003.12.06名誉音楽顧問林達次先生ご逝去 (同日CCD第51回定期演奏会)
2004.7.03林達次先生を偲ぶ会 /コープイン京都
2004.10.10同志社グリークラブ100周年
2005.5.5*創立60周年記念事業として記念コンサート「ヴェルディ レクイエム」の開催を役員会決定。
2005.1.22会員最終アンケートで記念コンサート「ヴェルディ レクイエム」の開催を決定。
 1986年秋、CCDリ・ユニオンの席上での60塩路兄の発言でその気運は動き出した。その発言の要旨は「翌年に迎えるCCD創立40周年に向けて、大イベントを開催するにあたり、現役から卒団生全員に呼びかけるにしても、その数は優に千名を越え、大変な負担になる。卒団生は年々増え続け、必要となる事務作業や通信費用の負担は現役の手に余るであろう。今こそ、それらの負担を肩代わりして現役の音楽活動を支援できるOBOG組織を作ろうではないか。」

 このタイムリーな正論に対し、同席していたOBOGは全員が賛同し、さっそく有志による会合が重ねられた。この時期の参加者(49長島兄、56渡辺兄、60吉田兄、60塩路兄、61塩路姉、61関原姉、66門田兄、門田姉、73遠山兄、79勝山兄、83神垣)がキイメンとなり今後の活動のメンバーとなる。

 1987.2月と5月に各卒団年度の代表者が集まり、学年代表者を「世話人」キイメンを「常任世話人」として、OBOG会の発足に向けた準備作業を開始する。その後世話人を「理事」と改称し、理事に選ばれて会の運営にあたるものを「幹事」と呼ぶことになる。

結成 第一期 1987年春

会長:49長島兄 幹事長:60吉田兄秋のOB・OG会発足と40周年記念レセプションの準備に総動員で取り組む。OBOGの所在確認、名簿作成、レセプション会場確保、レセプションの企画案、会の規約立案など、会議を何度も繰り返し作り上げた。全て未経験の作業であったが、過去にあったグリークラブのOB会結成の顛末(会費制度、組織作り)を参考にして慎重に議論を積み上げていった。

 特に会費については「終身会費制」を採ったグリークラブOB会が財政破綻し、会費の追加徴収をおこなった際に大きな問題に発展した経緯を参考に、「徴収作業が大変でも年会費を集め続けるしかない」という結論に至った。幹事会(殊に会計担当)の苦労は想像に難くないが、この努力を続けないと先人の轍を踏んでしまう、という悲壮な決意のもと年会費二千円の制度が決議された。会計担当の60塩路兄はこの憎まれ役を買って出られ、会創成期の財政基盤を作り上げた功労者と言っても過言ではない。

(この頃の詳細な記憶が無い、塩路兄、吉田兄、門田兄、門田姉にお話を聞くのが良いような気がします)




第二期 1992年春


会長:50岡本兄 幹事長:64小川兄

 会創設から5年目の大イベント「45周年記念レセプション」に向けた準備作業も佳境であった。単なるパーティーではなく「歌と関わるCCD」らしい企画を盛り込んだ。それが「委嘱曲」発表と「愛唱曲募集」であった。どちらも45周年レセプションで披露され、5年前とは一皮むけたOB・OG会の独自色が発揮された。

 この間、大阪と東京に会員を中心とする合唱団が生まれそれぞれが活発に活動し、特に京都から遠く離れた東京での活動は遠方のOBOGの賑わいに頼もしさを感じたものでした。

 一方で、漏れ聞いていた現役内部にある不安(問題)に一肌脱ごうと、積極的に現役側に接触する中で思いもよらぬ波紋をおこすことになる。その翌年いっぱいで榎本先生は常任指揮者を退かれた。当時、公にし難い個別事情を全て飲み込み、汚れ役を引き受けて収拾にあたった者の一人として、事の顛末を近日中にはっきりさせたいと思う。


第三期 1997年春


会長:60吉田兄 幹事長:69村井兄

 会創設から10年。50周年記念という大きな節目を迎えるにつき、「50周年記念誌」の作成と「記念コンサート」の開催という壮大な事業を決定。どちらも未経験の作業を積み重ねることになる。記念誌は各学年単位でページを作ってもらい、それ以外の特集ページは担当毎に執筆ということに。記念コンサートは林達次先生指揮「モーツァルト レクイエム」、事業規模一千万円超のイベントとなり、多くのOBOGが全国から集まりシンフォニーホールを感動で包み込んだ。

 計画当初「そんな大変な事できるのかな?」と思っていた事が全て実現できた。この経験と自信が以降の周年事業のベースとなる。

 ところが次の55周年記念コンサートの計画段階で一波乱発生。この事も後日明文化したいと思っています。


第四期 2002年春


会長:60吉田兄 幹事長:74北川兄

 55周年記念事業として「シャンテ<スタンダード>」を作成、現役にも10年分を贈呈し、レセプションではお披露目も兼ね、たっぷりと歌う時間を用意しました。しかし、50周年時に比べるとOBOGの参加者数も141名と少なく、この点が幹事会としての反省でした。その理由は、50周年記念レセプションからわずか5年でのイベントには若干の飽きもある事と、「ドイツレクイエム」の本番を2週間後に控えるという日程計画、の二つが考えられました。もちろん、検討を重ねた上での決定であり、このときの反省を次回の60周年で「活かす」事が幹事会の使命となりました。

 「ドイツレクイエム」演奏後の打ち上げで実感したのは「私たちは歌う集団だ」ということです。「レセプションの不発に比してコンサートの充実感の差は何だろうか」「ハイレヴェルのコンサートにこそOBOGの参加意欲をかき立てる魅力があるのではないか」あくまでも私見ですが、60周年記念事業の最大のテーマはこれだと確信しました。

 55周年記念事業を無事終えたのもつかの間、2003年の5月の役員会の直後に前常任指揮者の榎本利彦先生の急逝をお聞きました。そこから関係各位との調整をすすめて7月に偲ぶ会を開催しました。未体験の準備作業に心身ともに悲鳴を上げる数ヶ月でしたが、さらに12月のCCD定演の朝にはなんと名誉音楽顧問の林達次先生を亡くしてしまいました。林先生の偲ぶ会開催までは時間も経験もあり、準備万端整えて迎える事ができました。

 従来から周年事業の翌年は幹事会は骨休みする年なのに、かつてない激動の一年を終える頃、60周年記念事業の準備作業に踏み出しました。


記念コンサートはこうして実現していく

計画立案へ 2003年冬

補足

*幹事会にとり、本来周年事業の翌年は何もする事のないヒマな一年のはずなのです。5月の役員会を終えて突然知った榎本先生の訃報。そこからいきなりトップスピードで冬まで駆け続けた、そんな気分でした。前年の疲れもとれぬまま大変な一年を過ごして、「やれやれ次は60周年か・・」と幹事は嘆いていました。

*当初、委員会はヴェルディの指揮者として西本智美氏に白羽の矢をたて、交渉を進めました。しかし所属事務所からの返事は「一年以上先の予定は入れられない」ということで断念。報酬とスケジュールを両睨みしての交渉は大変困難な作業でした。そんな中で金聖響氏を射止めて委員会は一安心したのでしたが・・

*コンサート実現に向けた中でOBOG合唱団の協力は見落とせません。アルママータは団結成時から記念コンサートへの参加を射程に入れた演奏活動計画を立て、その団員がシームレスに参加できる環境を準備していただけました。

 DMC<東京>は団内の「ヴェルディのレクイエムを歌いたい」という多くの団員の希望をくみ2005年12月以降の音楽活動を「ヴェルディのレクイエム」に集中し、団員でない「記念コンサートに参加する東京地区の会員」の練習参加をも認めるという有意義な決定を下されました。

 シャンテも「ヴェルディのレクイエム」を歌いたいという団員の希望をくみ、無理の無い練習スケジュールを進めることになりました。

 以上のように、多くのCCDのOBOGを擁する合唱団が「ヴェルディのレクイエム」に参加を希望する団員に配慮した練習計画にシフトする決断をされたことにOB・OG会は大いに感謝するところです。「CCDの60周年をともにお祝いしよう」という趣旨を、多くの方々にご賛同いただけたことに喜びを禁じ得ません。


*2006/1/22の日曜日に60周年記念事業実行委員会が開催され、その場で年末に会員の皆様から集められたアンケートはがきの集計結果が発表されました。
回答数 265の内訳は下記の通り
・参 加 132(現役6名含む)
・未 定 30
・不参加 110

*2006年6月にはじめて広上氏にお会いしたときの印象は「飾り気のない、おおらかな」方でした。その1時間後、大フィルを指揮する氏の姿は無駄も隙も無く、魅力に溢れた素晴らしい指揮者でした。こんなスゴい指揮者に振ってもらえるなんて、私たちは幸せですよ。
 作業のはじまりは2003年の冬のことです。その1年前に55周年記念事業を終えて、ほっとしたのもつかの間、前常任指揮者の榎本利彦先生の急逝を5月に聞き、偲ぶ会を7月になんとか開催。さらに12月のCCD定演の朝にはなんと名誉音楽顧問の林達次先生を亡くしてしまう。
 かつてないほどの激動の一年の終わる頃、実行委員会を結成し、そろそろと動き出しました。

 今回は、55周年の時の混乱を避けるため幹事会主導で作業を進めました。まず、記念事業として何がふさわしいかを、先入観を排除しつつ何度も話し合ったのです。過去の経験と実績からその概要はわかっています。(1)記念名簿の発行(2)記念レセプションの開催(3)記念コンサートの開催(4)過去の音源整理、などが提案され、それぞれの必然性から討議が繰り返されました。個人情報保護の時流に押され「名簿の製本化」の必然性について議論し、現役が選曲の際に必要となる過去の演奏の音源整理の必要性は自明だが、実現の見通しの不明なことにとまどう。
 コンサートの開催もその目指す内容が「客を呼ぶ演奏会」か「仲間内で楽しむお祭り」なのかでは、全く異なるものになってしまうことを、多くの実行委員の参加の元に慎重に話し合いました。


準備作業 2004年冬

 そして、2004年の12月に会員に向けてアンケートを実施いたしました。「記念コンサートを実施するとしたら、あなたの歌いたい曲はどれですか」という内容です。(1)ヘンデルのメサイア(2)フォーレのレクイエム(3)ヴェルディのレクイエム(4)その他、そして「あなたは参加するか?」の二つを問いました。

 アンケートの結果は明解なものでした。ヴェルディのレクイエムを選び、「参加したい」と回答した方が圧倒的に多かったのです。この時点でコンサート実施が計画として動き始めたのです。

 2005年5月の役員会において、記念コンサートの基本計画が承認されました。ところが、内定していたはずの指揮者「金聖響」氏から突然の断りの連絡があり、実行委員会は指揮者探しを振出しに戻さざるを得なくなりました。その席で北川兄から「東京の広上さんはどうだろうか。テレビで見ただけだけど、すごくよかったよ。」という意見があり早速調査を開始。その結果、実績もスケジュールも大丈夫。欠けている事を強いて言えば「関西での知名度」だけか。

 5月の役員会で承認された指揮者の変更は、再度役員会で承認を得ねばなりません。急遽臨時役員会を8月に開催し、指揮者広上淳一氏の承認を得て、広上氏に正式に就任要請をおこない、氏からも承諾をいただきました。しかし、まだハードルはあるのです。12月実施の「コンサート参加希望者アンケート」で120名以上の参加を得なければ、計画自身が廃案になってしまいます。そのことを広上氏にも了解いただき、いよいよ正式なアンケートを実施しました。


承認-実行作業へ 2005年冬


 2005年12月におこなったアンケートの結果参加希望者は132名集まり、120名のハードルを超え、近畿地方からの参加者80名以上の条件もクリアし、ようやくコンサートは実行計画に踏み出しました。2年越しの準備作業が無駄にならなかった訳ですが、ここからが正念場です。小さな種が膨らんで芽を出し、大きな花を咲かせるまであと1年以上あるのです。でも、ここからは多くの仲間との共同作業です。大好きな歌う1年間です。総勢200名のヴェルディのレクイエムを高らかに歌いたい。その感動を満喫するために走り出しました。さあ、皆さん、楽しみましょう。

練習開始 2006年夏

 2006年7月20日私は大慌てでヤマハに電話しました。楽譜の発注を忘れていたのです。10日後にはコンサート参加希望者に楽譜を送る作業が予定されています。 結果、半分の60冊弱は入手できましたが残りが間にあいません。仕方なく残り半分は届き次第数名で発送作業をするはめに。

 そして10月22日、いよいよ第一回目の練習が始まりました。大阪の飛鳥人文センターに集まった約70名のOBOG、練習指導の大谷先生。わかりやすい発声指導とアンサンブル。成功を予感させる充実した練習の始まりです。

 練習開始から2か月が過ぎ、コンサート参加希望者は231名((関西登録141名+現役登録24名+東京登録66名))となりました。『一人でも多くのOBOGが参加していただける事業』を目指して始めた作業の半分が実った、そんな思いで練習に通います。あとの半分は、しっかり練習して立派な演奏を残す事。しかし、これはできるはずだけど、毎回気がかりです。関西では練習は25回しかありません。わずか25回です。現役の頃なら2ヶ月分の練習回数です。ここからはコンサート実行委員会の練習出席率向上の工夫が試されるのです。


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