A1:田辺キャンパスにおすしやさんがある A2:文学部にタイガース大好きで家を「虎縞」に塗っている教授がいる A3:大学を建てたのが幕末に日本を脱国しアメリカで学び、キリスト教徒となった人物である。 ちょっと難しかったかな?答えは・・・A3です!(他の二つも事実ですけどね) そう、同志社大学にはその校祖のキリスト教徒としての熱い思いが、今に至るまで綿々と流れているのです。こんな大学、他にはちょっとありません。せっかくそんな大学に入ったからには、C.C.Dに入って歌わない手はありません。なぜって?それはC.C.Dはまさにその大学の精神の中核にあるキリスト教に関わる曲を中心に歌っているからです。もちろん宗教曲だけを歌うわけではありませんし、直接にキリスト教についてC.C.Dの中で学ぶ機会はないかもしれません。しかし、歌は人間の深いところで響きます。キリスト教を知るために神学部が提供しているキリスト教の科目を学ぶことも大切です(ちなみ私は神学部の教員)。でも、共に声を合わせて宗教曲を歌うことは、それ自体人間のうちにある敬虔な思いに直に触れることですし、私たちは、そのことを通して同志社大学の精神により深くつながることができるでしょう。同志社ですごすせっかくの四年間。もっとも同志社らしい私たちのC.C.Dで一緒に充実したときをすごしましょう。 同志社学生混声合唱団 顧問 関谷直人 (同志社大学神学部助教授) 学生混声合唱団C.C.D.は、宗教曲をメインレパートリーとする団体です。宗教曲と聞くと、敷居が高いなと感じる人がいるかもしれません。団員の多くは宗教曲どころか合唱自体未経験なので、そのために幾度となく壁にぶつかるのは確かです。だからこそ面白く、やりがいを感じることができます。練習を重ね、洗練されていく音。たくさんの仲間と声をそろえて歌う喜び。それらが合唱の醍醐味だと私は思います。 前述した通り団員の多くは合唱未経験者ですが、経験の有無に関わらず、私達は少しでもいいものを目指して一つの音楽をつくっています。新入生の皆さんも、どのサークルに所属するとしても、せっかく大学四年間を捧げて続ける活動なのですから、本気で打ち込んでほしいと思います。同志社大学には、C.C.D.には、本気で働きかければ、それに見合うものが返ってくるだけの環境が整っています。 しかし、出来事を待っているだけでは何も起こりません。是非、積極的に大学生活を送ってください。私達と一緒に、C.C.D.で本気の音楽をつくりませんか?皆さんの音をお待ちしています。 同志社学生混声合唱団 第65代幹事長 中村 友香 ご指導いただく先生方名誉顧問(同志社大学) 高道 基 (神戸頌栄短期大学教授) 工藤 弘志(日本基督教団正雀教会牧師) 名誉顧問(同志社女子大学) 鴛渕 紹子(同志社女子大学名誉教授) 辻 裕子(同志社女子大学名誉教授) 近藤 十郎 ヴォイストレーナー ソプラノ 光永 伸子(京都市立芸術大学大学院修了) アルト 福永 圭子(京都市立芸術大学大学院修了) テノール 佐藤 謙蔵(京都市立芸術大学大学院修了) バ ス 周 江平(京都市立芸術大学大学院修了) | 昔、ドイツのとある町で聴いた「マタイ受難曲」。前半が終わると、前列の若い女性が拍手を始めました。えっ?一瞬、私は逡巡しました。この曲の宗教的な意味を考えていたからです。ですが、その拍手はあっという間に巨大なホールを包みこんでいました。すると、今度は私のひとつおいて隣にいた中年の女性が、拍手の発生源となった女性に「あなたはこの曲の意味がわかっていない」、「きょうのコンサートは台無しだ」などとまくし立てたのでした。目を真っ赤にした若い女性は、そのあと戻ることはありませんでした。 今もなお忘れることのできない事件です。どちらが正しのか、雰囲気を壊したのは誰かなど、軽々に判断することはできません。ですが、聴衆はそれぞれの期待を込めて、音楽の現場に立ち会うのです。 歌うことは聴衆の思いを聴くことなのかもしれません。美しいハーモニーは、他のパートに耳を傾けなければ生まれません。けれども、わがCCDのみなさんは聴衆とのハーモニーを目指してきました。他者を理解し、他者を愛する精神による演奏と言ってもいいでしょう。それは同志社建学の理念であるキリスト教の精神でもあります。長くそんな精神を大切にしてきたCCDで、あなたも同志社らしい学生生活を送ってみませんか。 同志社学生混声合唱団 顧問 中村信博 (同志社女子大学学芸学部教授) 「歌はいつでも歌えるけれど、合唱は今しかできない」とは、もっともな言葉であると思います。自分の声ひとつあれば、私たちはいつでも、どこでも歌うことができます。好きなときに、好きなように。ですが、合唱はひとりではできません。皆が同じときに、同じ場所に集まって、初めて表現できる音楽なのです。それが「歌」と「合唱」の違いであり、魅力なのだと思います。私たちは、偶然同じ空間に集まり、共に歌う「仲間」となりました。何気ないことのようですが、それはきっと、何より大切なことです。性格も、考え方も、感じ方も、ここに集まったきっかけも本当に様々です。そんな色とりどりの「仲間」たちが、ひとつの同じ作品でつながること。それがとても嬉しくて、共に歌えることに感謝しながら、私たちC.C.D.は、今日も活動をしています。 私たちの主なレパートリーは、宗教曲です。これは、活動開始以来C.C.D.が大切にしてきたアイデンティティでもあり、古典から近現代まで、時代を問わず幅広く取り組んでいます。また日頃の練習では、客演指揮、ピアノ伴奏、ボイストレーニングにプロの先生方をお招きしています。先生方にご指導いただく中で、学生練習だけでは見つけられなかった学びに気づけるよう、団員一同積極的に取り組んでいます。演奏の場は、様々です。前期には関西六大学の合同演奏会、早稲田大学とのジョイントコンサートがあり、後期には一年間の集大成として独自の演奏会を開催するほか、教会や施設に伺い歌を届ける演奏旅行があります。そのどれもがそれぞれに歴史を持っており、歌い手と聴き手で音楽をつくる喜びは、回を重ねるごとに増していくように思われます。 「合唱」は、ひとりよがりではできません。常に「全体の中での自分の役割」を考える集中力が必要です。これは、決して容易なことではありません。しかし、2人3脚を思い浮かべてください。息を合わせよう、と相手を思いやったら、不思議と足が揃うように、「仲間」に思いをかけるとき、声は不思議なくらいに揃い、ゆたかな音楽になります。信じられないかもしれませんが、本当です。大切な「仲間」とともに「合唱」に打ち込めるのは、大学生である今だけです。みなさんも、わたしたちと一緒に歌いませんか?何だか良いかもしれない、と思った方は、ぜひ練習にお越しください。共に歌えることを、楽しみにしています。 同志社学生混声合唱団 第53代学生指揮者 荒木 希美 |